トルコがロシアの爆撃機を撃墜、俄かにトルコとロシアの関係に注目が集まっています。歴史を振り返れば過去何度となく対決してきたトルコとロシア。ところが戦績は12回の戦いでトルコは2勝8敗2分けと、ロシアにやられっぱなし。
今回のトルコとロシアの対立、変なことにならぬことを願いつつ、過去のトルコとロシアの対立の歴史を振り返ってみました。(2015年12月4日更新)
概要
ロシアにやられっぱなしのオスマントルコ
現代はトルコもロシアも民主制国家となっていますが、その前身はトルコはオスマン帝国(オスマントルコ)、そしてロシアはソ連を挟んでいますが、ロシア帝国。
オスマントルコは全盛期に中東全域そしてバルカン半島一体を支配していた大帝国。一方のロシアもシベリアの広大な領土を征服した大帝国。
この両国、オスマントルコが下り坂に入る時にロシア帝国が上昇気流に乗っているという、非常に対照的な歴史をたどっています。
そして直接、オスマントルコとロシアが対決したのは、wikiによると12回。ロシアがオスマントルコに一方的に攻め立てる展開で、その勝敗はトルコが2勝8敗2分け。
トルコから見れば、ロシアとの争いの歴史=やられっぱなしの歴史、という位置付けになっています。
トルコとロシアの戦争、12回分を振り返る
一般的に露土戦争と言われるのは1877~1878年の戦争を言いますが、wiki記載のトルコとロシアの戦争は下記の期間の12回。
・1568年~1570年(ロシア勝利)
・1676年~1681年(引分け)
・1686年~1700年(ロシア勝利)
・1710年~1711年(トルコ勝利)
・1735年~1739年(引分け)
・1768年~1774年(ロシア勝利)
・1787年~1791年(ロシア勝利)
・1806年~1812年(ロシア勝利)
・1828年~1829年(ロシア勝利)
・1853年~1856年(トルコ勝利、クリミア戦争)
・1877年~1878年(ロシア勝利)
・1914年~1918年(ロシア勝利、第一次世界大戦)
(露土戦争、wikipediaより)
並べて見るとトルコのやられっぷりがよく分かります。
ロシアの領土拡大は下記動画がうまくできています。3分頃からトルコにロシアが迫ってきます。
尚、1853~1856年のクリミア戦争はトルコ勝利としていますが、実はトルコ自体はロシアに敗れており、英仏連合軍がロシアに勝利しクリミア戦争は終結。トルコ対ロシアという観点ではトルコの負け。実質的には12戦してトルコは1勝しかしていません。
クリミア戦争の結果、トルコ領内での英仏の権益が強化されたというのは、世界史で習った方も多いと思います。
日露戦争での日本の勝利をトルコは日本以上に喜んだとか、日露戦争の名将東郷平八郎から取ったトーゴー通りがあるとか、トルコの親日の話題は事欠きませんが、歴史を振り返れば200年近くやられっぱなしだったロシアに一矢報いた日本、トルコとしては我が事のように喜んだのは想像に難くありません。
(尚、トーゴービールがあるのはフィンランド)
ロシアにやられっぱなしのトルコですが、ロシアに対抗するために様々な努力はします。しかし古い体制は簡単に変わらず、ジリジリと追い詰められていきます。このトルコの後退の歴史は、案外面白く、大国が衰えていく中でそれを変えようとする人々の姿、なかなか感動ものです。トルコのスルタンだって、衰退を止めようと様々な努力をする姿は、意外に知られていない歴史の一ページです。
後半戦はドイツ+トルコ対ロシアという構図
トルコとロシアの対立、後半戦の2つはドイツ+トルコ対ロシア、という構図になります。
汎スラブ主義を掲げバルカン半島を巡って争うトルコとロシアに対し、汎ゲルマン主義を掲げロシアに対抗したドイツがトルコを助ける、という構図です。
第一次世界大戦の枢軸国は、ドイツ・オーストリアが有名ですが、実はトルコも枢軸国として第一次世界大戦を戦っています。その結果、オスマントルコは敗戦国となり、カリフは退位しトルコ共和国に移行することになります。
この第一次世界大戦の後、救国の英雄として現れたのが、ケマル・パシャ。トルコの近代史は、ケマル・パシャ無しには語れない、という存在となっています。
ドイツにはトルコ系の移民の方が多く、ドイツ政府も第二次世界大戦後の復興期にトルコ系の移民を積極的に受け入れてきたという歴史があります。それは、実は第一次世界大戦前のドイツとトルコの結びつきに由来しています。
ちなみにドイツとトルコの関係は日本にも多少関係していて、明治維新の後、日本政府は陸軍近代化のためにドイツから先生を呼んでくるのですが、ドイツ陸軍の1番手クラスの人材はトルコに派遣されて、2番手クラスの人材が日本に派遣されていたそうです。
歴史的背景から見えるもの
過去のトルコとロシアの対立から簡単に見えてくるものがあります。
・ロシアに対する復讐心に燃えるトルコ
・トルコをなめきっているロシア
容易に思いつく両国の心象的背景。トルコによるロシアの爆撃機撃墜、今の所は非難の応酬や経済制裁という程度に両国の対応はとどまっていますが、一旦火の手が上がると、容易に鎮火しそうにないという、歴史的背景を有しています。
ヨーロッパとアジアの両地域に国がまたがっている国家は?
ロシアはヨーロッパとアジアの両地域に国がまたがっていますが、同じような国がもう一つあります。
それは何処かと言えばトルコ!小アジアが国の中心のトルコですが、ボスポラス海峡を渡ったイスタンブールもトルコ領で、イスタンブールはヨーロッパ地域に属します。
言われてみると、そーか、と思いますが、トルコもアジアとヨーロッパにまたがる国、というのは案外忘れられています。
あと、トルコの首都はイスタンブールではなく、小アジアの真ん中にあるアンカラです。こちらも案外勘違いされています。
ロシアは取らなくてもいいリスクを取っている?
ロシアの旅客機がISのテロによって爆破され、そして今回は爆撃機がトルコ軍によって撃墜。
これって考えてみれば、ロシアがシリア内戦に直接介入しなければ発生しなかった訳で、ロシアは求めて敵を作っている状態となっています。
ロシアが求めて敵を作った例と言えば、旧ソ連のアフガニスタンの内戦介入があり、シリアのアフガン化を懸念する声もありますが、直接ロシアはシリアと国境を接している訳ではないので、アフガン化はならないかと。
ただし、ロシアはいつ終わるか分からないシリア内戦に自ら突っ込んでしまった訳で、父親の代から懇意のアサド政権支援の為とはいえ、ロシアは取らなくてもいいリスクを取ってしまったように見えます。
まとめ
イラクのフセイン大統領がクウェート侵攻した当時、シリア政府は少数民族が中心のアサド政権が倒れると果てない内戦に陥る可能性がある、と言われていましたが、ISの台頭という予想外の展開はあるにせよ、実はシリアの内戦はある意味では予想された展開という面もあります。
全く出口というか落としどころが見えないシリア内戦に、トルコとロシアの対立が激化すれば、ただでさえギクシャクしている中東情勢、益々今後の方向が見えなくなります。
いわゆる地政学リスクというもので、ただし日本の経済や株式市場には直接関係ない地域の問題ではありますが、世界的に見れば2016年はシリア問題が大きなテーマとなりそうです。(日本は財布の役割を期待されるのでしょう、毎度のことながら)
IS問題含め出口の見えないシリア内戦の上に、トルコとロシアの対立という変数まで抱えつつあるシリア問題。シリア問題解決の前提として、トルコとロシアの今後の関係に注目です。